【心の治療日記】10.心の中に住む小さな女の子

心と体

悲しくなったり不安が襲ったり、そうでないときには気持ちがソワソワして集中ができず、心が不安定な日々が続いている。

直接的な原因は彼に別れを告げられたことだが、私の場合、普通の人と傷つき方が少し違う。それは、気分循環性障害からくるものだと思っている。

普通の人は悲しんだり彼への愛おしさが募ったりして落ち込み、鬱状態になると思う。

しかし、私はそれにプラスして傷ついた自分への執着が半端ない。

傷ついたという現実を許せず、なぜか自分をとことん痛めつけたくなってしまう。

今回は薬のおかげか自暴自棄にまで至らずに済んでいる。落ち込んではいるが、感情の波が自暴自棄になる下限のラインにまで達していない。

私は最近、傷つけられたという執着を手放すためのイメージワークをしている。

が、しかし、後一歩、手放すところまでたどり着けない。

そんなとき、一冊の本と出会った。「執着を手放して幸せになる本」という本だ。

その中に、「本当に手放したい人は違う人の場合がある」と書かれているのを読み、少し引っかかるものがあったので考えを巡らせてみる。

執着しているのは本当に彼なのだろうか。思考を巡らせるうちに、まだ他に手放さなければいけない相手がいることに気づいた。

私が手放したくない理由を考えてみる。もしも手放してしまったら、傷ついた自分が可哀想だからだ。

傷ついた自分のイメージがわいてくる。まだ小さい女の子だった頃の私。傷ついて不安な顔をしている・・・。

そんな小さな女の子を見捨てて手放すなんてできるはずがない。

しかし、その本は別の気づきも与えてくれた。執着を解放するのは、見捨てることとは違うと。

別に彼女と別れる必要はない。彼女をギュッと抱きしめ、がんじがらめにしてしまっているその腕を緩めて、自由にしてあげることだと。

彼女は本当はいつまでも傷ついていたくないのかもしれない。いつまでも、「可哀想」と抱きしめられていたくはないのかもしれない。

もしも私が彼女を自由にしたら、彼女は傷ついたことを忘れて幸せになることができるのではないか。

最近友人が「愛着障害」という本を貸してくれた。私が気分循環性障害だと思うと話して心配してくれてのことだ。

その本によると、親からの愛情を十分に与えられなかった子供は安心できる場所「安全基地」が必要だという。

親からの気分の調節をしてもらえなかったことが原因となる気分循環性障害と少しにている。

いずれにせよ、自分自身が自分の安全基地となることが必要だ。

彼女を解放してあげよう、そして彼女が私の腕から離れても、辛いときには戻ってこられる安全基地になろう。自分自身が安全基地に。

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